前年のビザなし交流訪問で、北方領土国後島を訪れましたが、平成27年7月には、自由訪問(元居住地や墓地などに訪問する)で、択捉島を訪問しました。今回の訪問地の中には、祖母の出身地である内保地区も予定されていました。

出発前の根室港にて
まずは、国後島古釜布沖で手続きを済ませた後、国後水道を通り、択捉島の北側(オホーツク海側)に抜けて一泊しました。今回は、すべて船内での宿泊となります。
翌朝、萌消湾で日の出を迎えました。波が穏やかで上陸できそうです。

初めに上陸したのは、神居古丹です。砂浜に上陸するため、小型のえとぴりかⅡに乗り換えていきます。今回の訪問団は60名ほどいたため、3班に分けて上陸しました。

浜には、何かの建物跡がありました。戦後建設されたようで、何に使われていたかは不明です。

神居古丹地区の浜から少し上がると、ロシア人が使ったものや漁で使う小屋、自分たちの船を作ってたり、装甲車に乗って移動したりするロシア人を見かけることができました。一方で戦前からあったと思われる電柱や、校門と見られる倒れた門などが見られました。また、近くの湖?(沼?)や山がとても美しかったのを記憶しています。






続いて、今回の最大の目的地である内保の浜へ降りました。天気にも恵まれました。近くを流れる内保川は、知っている方によるとだいぶ変わっているそうです。深く生い茂る草をかき分けウエンバフコツ墓地、内保墓地へと向かいました。曾祖母が眠る内保墓地には、何も残っていません。占領期の混乱の中、墓石や遺骨がどうなったのかはわからないそうです。



ヒグマに遭遇する可能性があったため、今回は旧内保市街地には、向かうことができませんでした。実際に遠くから旧市街地を眺めた際に、ヒグマを確認することができました。

※中央やや右に見える黒いものはヒグマと思われる(旧内保市街地付近)
船に戻り、次は、丹根萌の浜への上陸を目指します。ロシアに占領されて以来、一度も日本人が上陸していない地区ということで、元島民の記憶を頼りに上陸地点を探したため、時間がかかりましたが、無事上陸することができました。監視所跡と思われるものは見かけましたが、ロシア人の姿などは見ることができませんでした。また、浜の近くでレンガを見つけましたが、戦前のものなのか、戦後のものなのか、何に使われたものか全くわかりませんでした。


天候に恵まれ、多くの場所に上陸することができました。翌日は、上陸する機会はなく、夕方船内で解団式が行われました。元島民の方に、住んでいた場所や当時の暮らしなどを聞くことができて、貴重な経験となりました。