2020年パラオ④(ペリリュー島・帰国)

 パラオ4日目は、第二次世界大戦の激戦地の一つ、ペリリュー島への戦跡ツアーに参加しました。

 ホテルに迎えに来ていただいて、まずはコロールの港に向かいます。コロール島からは、南西に約40km、スピードボートで1時間15分くらいかかり、ペリリュー島に到着です。島の入口には、英語と合わせて日本語も書かれています。

 上陸後は、車に乗り換え、ガイドさんの案内を聞きながら島内を回ります。まずは、千人洞窟へ。ここは、ペリリュー島の中でも、最大の人工洞窟で、日米の激しい戦闘が行われた場所です。ここには、1000人の守りがついていたそうですが、1944年の9月には50人まで激減したそうです。当時使っていたものが、まだ落ちています。

 続いて戦没者慰霊碑へ移動しました。現地の方の墓地でもありました。現地の方のお墓はいろいろな形があり、プロペラが墓碑になっているものまでありました。

 次に向かったのは、ペリリュー第2次世界大戦記念博物館です。元は日本軍の燃料倉庫で、外観はボロボロですが、中は立派な博物館で、戦時中に使われた武器や道具、日章旗や当時の写真などが展示されています。

 次は、日本軍総司令部跡です。建物の中心には爆弾が落とされた跡があり、壁には多くの銃痕が残っています。ボロボロに見えますが、島ではとても丈夫な建造物として、台風などが近づいて来た際は、臨時的な避難場所になるらしいです。

 続いては、日本軍の戦車。かなり朽ちてきていますが、当時の様子がよくわかります。また、また、近くにはペリリュー飛行場の滑走路があります。

 一度、海の方へ向かい、オレンジビーチへ。ここは、米軍最初の上陸地点であり、日本軍の一斉射撃により海は真っ赤な血で染まったそうです。今は、穏やかなきれいなビーチです。

 オレンジビーチから再び少し内陸側に入ったところに、零戦がありましたが、こちらはなかなか全体がわかりにくい状態でしたが、操縦席などはわかるような状態で置かれていました。

 その後、島の南端にある平和記念公園で昼食(お弁当)をいただきました。このあたりには、2015年に天皇皇后両陛下(現上皇・上皇后陛下)がご休憩された場所がありました。ご訪問された日の4月9日がこの年(2020年)から州の祝日になるとお話しされていました。

 また、西太平洋戦没者の碑もあり、平和への思いをこめる場となっています。ここからは、もう一つの激戦地アンガウル島を望むことができます。

 午後には、まず米軍の水陸両用戦車を見ました。日本軍の戦車に比べると、やはり大きく丈夫そうな印象を受けました。

そして、ちょっと行ったところには、日本軍の防空壕・大砲跡がありました。

 そして、ペリリュー神社と中川大佐自決の地へと行きました。この辺りには、後年建てられたものもありますが、当時の物が落ちている場所もありました。

 決して大きな島ではないペリリュー島ですが、よく2か月半も戦い続けたものだと感じました。コロール島とはまったく違った雰囲気を味わうことができました。

 その後は、港からコロール島へ戻り、ホテルへ。この日も、夕方に中心部に出ていきました。WCTCで雑貨を買って、前日お世話になった「鳥鳥」さんで夕食をとりました。

 ホテルに戻る頃には、ものすごく眠かったのですが、夜中(2:00過ぎ)にチェックアウトするため、ウトウトしながら部屋で時間を過ごしていました。

 5日目、早朝にパラオを出てグアムを経由して仁川へ。グアムでも仁川でもトランジットの時間が長く、当時はSFCメンバーではないため、ラウンジも使えなかったのでけっこうしんどかったです。

 成田空港に着いた後は、成田で一泊して、翌日に羽田へ移動してから、紋別へと帰りました。できるだけ安く済ませるため経由便を利用しましたが、さすがに直行便がうらやましかったです。

旅ichi

どこへでも行く旅行好き。2018年の初海外をきっかけに海外旅行にもはまる。また、大学卒業まで続けるほどの野球好き。20年近く少年野球に携わる。北海道旭川生まれ。札幌市、斜里町、訓子府町、紋別市を経て現在は旭川市に住む。

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